ソーシャルプロダクツ・インタビュー<br>―ヤマニ醤油株式会社「ヤマニほんつゆ」後編―

2020/10/30

ソーシャルプロダクツ・インタビュー
―ヤマニ醤油株式会社「ヤマニほんつゆ」後編―

(当記事は「ヤマニほんつゆ」インタビューの後編です。前編はこちらからご覧ください。)

 

―事業再開後も「御用聞き」による販売を継続されているのですか。

近年(新型コロナ禍以前)、中食(※1)や外食の盛況により、内食(※2)の比率が減ってきています(図1参照)。これを見ると、中食・外食産業にターゲットを転換する方が良いように考えられますが、私たちはあくまで誰が誰のために作ったか分かるような温かい家庭料理を支える商品を提供したいという思いから、御用聞き(※3)での販売を継続しています。

また、生涯を通して普段着で商品をご購入し続けていただける身近な醤油屋でありたいと思っています。そのため、赤ちゃんからご高齢の方まで、人生に寄り添った存在であり続けることを常に意識しています。御用聞きは、まさに生活者に寄り添える「水や空気」のような身近な販売方法であると考えています。

御用聞きに行くと実感しますが、お得意様は単に醤油を「消費」しているわけではなく、日々ヤマニ醤油とともに「生活」を営んでいらっしゃいます。そのため、御用聞きの際には商品を売りに行くという意識ではなく、醤油が足りなくなりそうな頃合を見計らって会いにいくという気持ちでやっています。サザエさんに出てくる三河屋さんのような昭和ののどかな商売のイメージです(笑)。

実は御用聞きではただ商品を売るだけでなく、長い時は1~2時間も世間話をすることがありました。これでは効率が悪い営業に思われますが、情報収集や今後の長いお付き合いのためには大切な時間で、まったく無駄ではありません。お得意様の何気ない一言を無駄にせず、商品開発や品質改良に反映させることが、末永く愛される醤油・つゆを作る上で一番の近道なのです。

震災前から変わったことといえば、以前は販売員が頭の中や台帳(紙媒体)で把握していた顧客情報をデジタル化することで製造部門と販売部門、知財部門を分業する3社間を繋ぐオンラインで情報共有ができるようになったことです。いずれにしろ大事なのは御用聞きを通じたお得意様との人間的な繋がりに他なりません。この繋がりが、最終的に代えがたい無形の資産に変わっていくのだと考えています。

※1:家庭外で調理された食品を購入して持ち帰り、家庭内で食べる食事の形態

※2:家で素材から調理したものを食べる食事の形態

※3:得意先を一軒一軒回り注文を聞くこと。

―事業再開後の商品の反響について教えてください。

震災を乗り越え事業を再開した直後は、「復興特需」の勢いに乗って商品の売り上げは約1年で一気に回復しました。味はひとまず置いておいて、復興を目指す私たちを助けたいという想いで商品を買ってくれた支援者がたくさんいたのです。しかし、その勢いは長く続きませんでした。やはり味が変わる(※)と離れていってしまう方もいましたし、生活環境が大きく変わったことで以前のように商品を継続して購入することが難しくなったお得意様もいました。

※詳細は「ヤマニほんつゆ」インタビューの前編をご覧ください。

私どもが共有しているゴールは震災や復興に関係なく長く愛され続けるロングセラー商品を提供することです。そのため、勢いに乗ったところで慢心せず、「地域に根差した醤油屋」というヤマニ醤油の原点に立ち返り、新商品や新市場の開拓に軸足を移さずに、従来通りの地域密着型の経営方針を維持しました。そうすることで、時が経つにつれ震災の風化が進んだとしても、ヤマニ醤油の味は忘れられることなく愛され続け、地域にしっかりと根ざしたブランドであり続けられる思うのです。

 

―やなせたかし先生とのコラボレーション企画の経緯やその反響について教えてください。

当時90歳を超え、ご高齢であったやなせたかし先生にラベルイラストを手掛けていただきました。私は当時先生とは直接的な繋がりはなく、実はアンパンマンも知りませんでした。しかし、被災地を助けたいという先生の想いは人と人との繋がりの中で私たちのもとへ届き、「しょうゆ天使」という新商品にまで至りました。なぜ一醤油屋の私たちにここまでしてくれるのか戸惑いましたが、それだけヤマニ醤油が地域のブランドとして定着しており、被災地復興や社会貢献のための先生とのコラボレーションだと常に肝に銘じています。

このコラボレーションをきっかけに、先生が描いた「しょうゆ天使」のキャラクターイラストを用いた様々な商品が生まれ、好評を博しました(シューアイス、ラスク、ラーメンなど。図2参照)。地域に根差すブランドを守るといっても、製造設備や気候風土、職人までが変わった中で震災前の味を再現するのに多くの苦労がありました。お得意様が本当に望む味に戻るまで7年かかりました。7年間の試行錯誤を乗り越えられたのは、それでもヤマニ醤油を使い続けてくれたお得意様や被災地を助けたいという様々な方のお力添えがあったおかげです。やなせたかし先生とのコラボレーションは、そうしたありがたいお力添えの数々を象徴する希望のシンボルマークでした。

―最後に、今後の課題・展望を教えてください。

明治元年創業、私で4代目を迎えるヤマニ醤油の事業承継が最大の課題です。震災後、商標ライセンスビジネスと企業提携で再出発したヤマニ醤油ですが、この事業形態での成功の確率は0.3%と非常に低いと言われています。そのため、今後いつ困難が立ちはだかるか分かりませんが、やはり初心を忘れず信念を持って前に進んでいくことが最も大事だと思っています。

また、自分の経験を生かして、2015年から中学校などに赴き子どもたちに世界一やさしいイノベーションの授業を行っています。理想的な社会というのは、それぞれの個性や才能を尊重して繋がり、好きな職業や社会活動を通じて成長できる社会だと思っています。その実現のために、一人ひとりが自由に考え、リスクを恐れずに勇気と思いやりを持って行動することの大切さを、授業を通じて発信しています(図3参照)。
震災前も醤油づくりは技術ではなく、教育に通じるものがあると感じていました。醤油になるまでには長い期間を要しますが醸造に適した環境を整えて微生物の発酵過程を見守る。いたずらに手を加えるのではなく、元気な麹を作り、何かあったときには愛情をもって介入するそんな気持ちのゆとりが必要と思います。

最後に、SDGsの17番目の目標にもなっている、パートナーシップで目標を達成することについても意識しています。私自身、もともと一人で行動するのが好きなタイプでしたが、困難を乗り越えるためにはチームワークが必要不可欠だと感じました。会社や組織のあるべき形というのは、何が正解なのかまだ模索中ですが、日々の仕事の中でそれが分かれば、より良い事業承継につながると思っています。64歳になりましたが、楽しむ気持ちを忘れずに、生涯を通じてさらなる探求と挑戦をしていきたいです。

「TOHOKUわくわくスクール」による出前授業(東北活性化研究センター主催)

 

(取材・執筆:高橋さくら)

 

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取材を終えて

醤油からつゆへの転換、大震災からの復興といった数々のイノベーションを成し遂げてきた新沼社長のお話からは、お得意様に末永くヤマニ醤油の商品をお届けしたいという想いが強く伝わってきました。初心を忘れずに革新を続けるこの姿勢には、コロナ禍とも言われる現在の危機的状況に活かせるものが多くあるように感じました。貴重なお話をありがとうございました。

この企業について

ヤマニ醤油株式会社

岩手県陸前高田市高田町字洞の沢43

http://yamani-iwate.jp/

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